Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

家庭を会社にたとえてみる

私は子どもがいる状態で再婚したので、夫は一家の新参者、ということになる。

 

結婚してくれただけでありがたいと思うし、彼がすぐに子育てに参加しなくても不満はないつもりだった。ある程度仲よくしてくれればそれでいい、と思っていた。

 

でもやはり、子どもが不登校という状態で、私ひとりでいろいろと抱えるのは孤独で寂しいと思うこともある。そんなときに夫も一緒にやってほしいと考えたりする。

 

でも、子育ての話をするのはなかなか苦手だ。彼曰く「あなたは意見が決まっていて、こちらの意見を取り入れない」という。私にしてみれば、「彼が育ってきた経験だけで意見を言われても……」という思いだった。

 

先日も、話そうとしたところ「価値観が違う」となり、「そうじゃない」と言うことをうまく言葉にできない。例えば、「子どもの時間を持ってほしい」と言った場合も「それが本当に必要なことなのか、精査して納得できないと難しい。優先度を定めなければ子どものためにしたほうがいいことは無限に増える」と言う。言っていることはわかるが、「子育てってそういうことじゃない」と思う。私と夫の間で時空がねじ曲がっているように感じる。その「そういうことじゃない」を言葉にできない以上、価値観をすり合わせることはできない。

 

私も過去にはそう思っていたから、彼の気持ちはとてもよくわかる。でも、私はどうやって今みたいな価値観になったのか。それは経験を通して少しずつ体に沁み込んできたものなのだ。それを言葉にしてこなかったツケがまわってきているのかもしれない。

 

私は対話をいったんあきらめた。私がしていることに「価値がない」と彼が思っているのではないかと思うと、つぶれてしまいそうになったし、相手を責めたくもなった。

 

「それは無理だよ」と彼は言う。「新しく入ってきてよくわからなくて、ビジョンも目的も行動指針も共有されないまま、社長(私のこと)はいろんなことをひとりで決めてしまう。意見を言っても『もうそれは試した』『昔はそうしていた』みたいに言われる。それで当事者意識だけを持てっていうのは無理だよ」

 

会社経営をしている彼は、会社にたとえて説明してくれた。その言い方は、ふてくされている私にひっぱられることなく、とても冷静で優しくて、ありがたかった。

 

そのたとえ話を聞いただけで、彼に説明されるまでもなく、自分の中でいろいろな問題がぱーっと見えてしまった。

  • 決定権がないと当事者意識が持てないし、責任感も持てない(夫は決定権がないから当事者意識や責任感を持てない)
  • ビジョンやミッションがないと、会社が向いた方向に即した判断ができない(夫は妻からビジョンやミッションを共有されていないため、妻の納得するような判断ができない)
  • 上に決められた仕事だけをやるのはとてもつまらないし苦痛(妻に「これやって」と指示されたことをやるのは、いくら簡単でもつまらないし苦痛)

会社で言われることが、そのまま家庭にも当てはまるとわかった。彼を巻きこめない自分が未熟なのだと身に沁みた。

 

また、私のことを「会社の社長=家庭の長」と表現されたことで、私自身にも一気に責任感が増した。私自身は、彼と対等であるべきだと思っていたし、さらに夫婦は対等であるから難しいのだと思っていた(会社は代表が複数いると上手くいかないと言われる)。でも、上下がある、と考えた途端すっきりと考えやすくなった。しかも彼がそれでいいと思っているなら、そのほうがいいのかもしれない。

 

そんなことを考えると、夫婦間の家事育児問題でよく言われることは、「マネジメント論」に集約されるのかもしれないね、と話した。

 

夫婦での価値観が違うとはいえ、以前よりはずっとわかってもらっていると思う。以前は「子どもがこうだった」「子どもがこういうことをした」と話すと「それってさあ」みたいに意見を言われることが多かったが、今は「おー。よかったね」みたいに言ってくれる。それは「あなたの考えていることや、大事にしていることがわかってきたから」だと言う。たぶん少しずつ、伝わっているのだ。

 

後日談

そんなことを考えながら「子どもを思う味方学」に参加した。もとになっている「味方学®」には「味方3原則」がある。

【人生の味方「味方3原則」】
1.相手が目指していることを理解する
2.相手が今大切にしている思いだけでなく、未来に大切にしたい思いも大切にする。
3.相手が思うように進んでいるときも、思うように進めない時も、相手の可能性を信じて見守る。
味方学研究会

毎回のワークでこの3原則を確認する。これを読んだ時に「我が家の行動指針はこれがマッチするのかもしれない」と思った。

 

そもそも、この考え方を身に付けたくて味方学に参加しているのだから当たり前なのかもしれないけど。