Low Kick - 2nd -

たぶん全部ひとりごと。 テキトーだけどマジメです。

嫉妬心から逃れるにはものを作ること ~『人生論ノート』の読書レビュー~

信頼する人が以前、三木清の『人生論ノート』を教えてくれて、その時から読みたいと思ってKindleで買ってはいた。

 

『100分de名著』のアーカイブで「どれを観ようかなあ」と思っていたらこの本が紹介されていて、ゲストは岸見一郎先生だった(『嫌われる勇気』の)。全4回の2回目を見ているところ。岸見先生は三木清『人生論ノート』を読む』という本も執筆なさっている。

 

『人生論ノート』は太平洋戦争の前に書かれていて、我慢を強いられている時代に「幸せを求めるべきだ」ととても慎重に(あえてわかりにくく)書かれているのだという。彼は哲学者だが、一般の人向けの雑誌に連載されたのだとか。

 

最近よく考えている感情が「嫉妬」だ。だから「嫉妬について」の章を読んでみた。

 

●気になった箇所とその理由

・「いかなる情念も、愛と嫉妬ほど人間を苦しめない。なぜなら他の情念はそれほど持続的でないから。」と書かれている。そもそも情念とは何なのだ。辞書を開くと「心の働きと思い。また、強くとらわれて離れない愛憎の感情」とある。「愛憎」とは重い言葉だ。嫉妬は確かに、人を、つまり私を苦しめる。

 

・「嫉妬において創造力が働くのはその中に混入している何らかの愛によってである」とある。嫉妬には愛があるという。確かに今まで好きでもない人に嫉妬したことはないかもしれない。私は、仲がいい人や、近い人に嫉妬する。

 

・嫉妬は、自分を相手の一に引き上げようとするのではなく、相手を自分のほうに引き下げようとするものだ、という。これは耳が痛い。そうだなあと思う。だから嫉妬は醜い気がするのだ。「自分がその位置に行きたい」と素直に認められれば、そしてそのためにまっすぐな努力をしようとするならば、どれだけすがすがしいだろう。

 

・個性ではなく、一般的なものに嫉妬するのだという。私の解釈では、これは一般的に評価されうるもの、みたいな意味だ。「賢さ」「年収」「肩書」「○○の才能」みたいなもの。一般的なものには上下があるから、それで自分が下のように思ってしまうのだ。やめたらいいのに。なぜやめられないのだろう。

 

自分で物を作ることによって、嫉妬心から逃れられると書いてある。ものを作ることで個性的になると。それは本当にそう思う。ものを作るのはどうしたって個性が出るものだ。さらに、それに没頭したほうがいいのではないかと、私は思う。誰かと比べながら物を作ることもできるが、本来比べないほうがいいと思うから。過去に、私は嫉妬心をなくしたくて好きなことをたくさんやろうと思った。それは、自分の個性を形作っていくことだと思う。「個性的な人間ほど嫉妬的でない」と著者は言う。そうかもしれない。たいていのことを器用にできてしまう私は、至極一般的であり、そのバランスを大事にしているからこそ、嫉妬してしまうのかもしれない。

 

●最後に

自分の個性を大事にしよう、と思う。私が、私しか感じていないだろうと思う感性を大事にしよう。私が一番いいと思うやり方で、私だけのものを作ろう。

 

こうして文章を書いているのも、そういうことだ。文章を作っているということ。